最近のこと 2026-03
(雑記)
- 写真の官能性は素朴な光の実在論に由来している。それが天体を見ることに少し似ているのは、人が光学系越しに夜空を見つめてきたからだろう。
子どものころ、実家で『子供の科学』を講読していた。この雑誌の巻末には細々とした電子工作キットや「科学実験」用具の広告ページがあった。たしか小学校の最後の年だか中学校の最初の年のあたりに、口径6センチのニュートン式屈折望遠鏡用のレンズのセット(6センチの対物レンズと、アイピース用の2枚組の小さなレンズのセット)を買ってもらった。夏休みに東京の祖父母宅に来ているときだったか、父親といっしょに秋葉か神保町あたりにあった誠文堂新光社まで買いに行った。雑居ビルのような建てものの2階だった。巻末広告はおそらく通販用のもので、客が直接くるような「店」ではなかったのだろうと思う。3枚のレンズは薄い紙箱に入っていた。
地元にもどり、スパゲッティ・ソースの空き缶をつなげて鏡筒をつくった。厚紙でつくった遮光板を配置し、艶消しの黒いスプレー塗料で内側を塗った。アイピースは厚紙を丸めたものに小さなレンズを収めた。ラワン合板で微動機構つきの経緯台をつくった。鏡筒の前後には透明なプラスチック板の照準器をつけ、プラスチック板に小さなLEDをつけてエッジを光らせた。そもそも照準にあまり意味があったとは思えないが。
対物レンズと接眼レンズを光軸上に並べて最初に見たものは、家の前の道路の向かい側に立っている電柱の金属製のバンドだった。予想以上に倍率が大きく、ややピントがボケていて、最初はそれが何かまったく分からなかったのを覚えている。(それまでに経験していた光学機器は、実家にあった双眼鏡や母親の一眼レフカメラの望遠レンズくらいのものだった)
その次に記憶しているのは月面。色収差でにじむ視界のなかにあらわれた月面の光景は忘れることができない。しばらく後にもう少し口径の大きな屈折望遠鏡を買ってもらってからも月面はよく眺めていた。
ただ、この手製の「望遠鏡」を通して目にしたもののなかで、いちばん強く記憶に刻まれているのは天体そのものの姿ではない。はじめて望遠鏡で月を見たその日だったか、あるいはその数日のうちのことだったと思う。いずれにしても、たしか夏の夜のはじめに、東の空に上った満月に近い月を見ていた。そのとき望遠鏡の視界を飛行機が横切ったのだ。冷ややかに燃えるような青白い月の上を、視界の下から上へ向けて機体の黒いシルエットが通りすぎた。クレーターが小さく見えている月面を、陽炎のようなジェットエンジンの航跡が横切り、やがてさざなみのように広がって消えていった。音もない、自分しか見ていない、ほんの一瞬のことだった。
- エドワード・ヤンや侯孝賢などの台湾映画の修復についての記事を見かけた。90年代の映画もすでに「クラシック」なのだなという感慨はわりとどうでもよいが、むしろ2020年代におけるそのあたりの映画が90年代におけるヌーヴェルバーグと同じくらいの距離と気がついてビックリする
聴く
- Self portrait
冬の終わりの憂鬱に
読む/観る(まだ観ていない)
- 二・三年前に『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んだがひたすら平易な page turner で2時間の映画としてはサイコーなんだろうと思ったものの、それ以上の感想がなかった(原書で読んでみたがビックリするくらいすぐ読めた)。最近映画化のタイミングで目にした何かのコメントの中に原作は読者の認知的な負荷を下げたファストSFだというものがありなるほどと思う。本人も NYTimes Book Review のインタビューなどで似たようなことは言っている。たぶん映画は観に行くと思う。ライアン・ゴズリングは何を演じても善性というか聖人らしさを消すことができない(LDSの家庭で育ったのが影響あるのかは知らないが)
コード
- 自分用の翻訳支援アプリのフレームワークを Electron から Tauri に変える。Rust はまったく知らないが Claude Code にほぼおまかせで完了。さくさく動くようになったがアプリ内 WebView に制約があるのでリファレンスの連携のやり方をあれこれ考える。
行く
- あるパーティー。